2022年12月に公開された映画『ラーゲリより愛を込めて』の観客動員数が200万人を突破したようだ。(2023年3月現在)
当映画の舞台は、第2次世界大戦終結後のシベリア。強制収容所で過酷な労働生活を強いられた日本人捕虜たちの姿を描いた物語である。
ブログの冒頭から察するに「おっ?映画の批評か?」と思った方、残念だが違う。
今回は日本中で過酷な営業ノルマを虐げられている『営業マン』にまつわるお話だ。
以下、営業マンを『営業職』と呼ぶ。
『ノルマ』の語源を知って営業職の苦しさがようやく腹に落ちた
冒頭に紹介しておいてこんなことを言うのも気が引けるが、映画『ラーゲ…』は一度も観たことがない。
それでは何故今回この映画をブログの題材に出したのかというと、ブログのテーマ『営業職』と『シベリア強制労働』に1つの共通点があるからだ。
実は営業職の『ノルマ』という言葉は、日本人がシベリアでの強制労働を強いられていた真実が語源になっている。
当時のロシア人が日本人労働者個人や各チーム(集団)に対して割り当てた標準作業量をロシア語で「Норма(ノールマ)」と呼んでいたことから、この言葉を覚えた日本人たちが帰国したことで一般的に浸透したと言われている。
恥ずかしながら、私がこのノルマの語源を知ったのはつい最近のことである。
たまたまTVを付けたら、映画『ラーゲ…』を紹介していて、その中でノルマの語源が紹介されていた。
私はノルマの語源を知った瞬間、営業職が何故あれほどまでに辛く苦しく、そして悲しみに溢れた仕事であるのか、ようやく腹に落ちた気がした。
そう、営業職の過酷なノルマは、かつて日本人収容者達が虐げられてきたそれと本質的に何ら変わらなかったのである。
ノルマほど語源と完全一致する言葉は他にない
私は主に自動車ディーラーの営業職での『ノルマ』という強制労働を経験してきたが、それは酷いものであった。
人間の尊厳を平気で踏みにじられる毎日だ。ディーラーの世界では憲法の掲げる生存権などは存在しない。
営業ノルマが達成できなければ(課された労働に従事できなければ)罰を受ける(人前で罵倒される)。
何か意見を言おうものなら「だからお前は車が売れないんだ」と一蹴される。
休暇もロクに取れない。「えっ?休むの?車も売れてないのに?」
強行突破で休みを取得した者は散々叩かれる。「あいつは車が売れていないクセに休みやがった」。
鞭で叩かれるのが怖いから、出勤簿上は「休日」とし、用事も無いのに出勤する。
「頑張ってるんですけどノルマが達成できないんですよ」アピールをしなければならない。
なお、ノルマの数字はなにも車の販売台数だけではない。
週に何人顧客を自店舗に呼び込んだかとか、月に何台車検を入庫させたかとか、この様な下らない「ノルマ」がざっと数えるだけで15個以上あった気がする。
これらは顧客満足に繋がらない仕事のため、全く意味のないものだがノルマを達成できないと家に帰れないので仕方がなくやらされていた。
まさに『仕事のための仕事』である。
しかしこの世界では『数字が全て』。
一台でも多く車を販売する者が強者であり、そして崇められる。
反対にノルマを達成できない者(強制労働に従事できない者)は『弱者』だ。
弱者はどんなに素晴らしい才能をもっていようと、どんなに人格が高貴であろうとそれは関係ない。容赦なく鞭で背中を叩かれる。立ち上がれないほど。
やがて体力は奪われ、言葉による暴力で心に深い傷を負う。
再び労働に従事できない者は自主的に死に追いやられるのだ(退職)。
現世で用いられるノルマという日本語とそのルーツとなった語源がここまで完全一致するワード「(Норма(ノールマ))」は他に見当たらない気がする。完璧だ。
ノルマを課しても営業利益が上がらないことに気付かない理由が分からない
自動車ディーラーでのノルマの実態を述べてきたが、他の商材を取り扱う営業職も実態は「大体同じ」ではないだろうか。
そもそも営業職に過度なノルマなんか課しても意味がないし、逆に仕事へのモチベーションが下がることを何故経営者が気が付かないのかが理解できない。
ノルマを課された営業職員はノルマを達成するために昼夜を問わず客先を駆けずり回るとでも本気で思っているのだろうか。
この様なことを考えていると、先日面白い記事を見つけた。
ゆうちょ銀行「自爆営業」防止策を導入 社員の契約は成績から外す
朝日新聞デジタル2023年5月4日
要約するとこうだ。
「ゆうちょ銀行は、これまで社員にノルマを課していたが『自爆営業』をする者が後を絶たないため、自爆営業で獲得した1件は今後は営業成績にはカウントしないことにした」
良い試みだ。
しかしどれだけ自爆営業を封じ込んだところで、ノルマが存在すること自体がブラック過ぎる。
企業である以上、株主のために営業利益を追求すること自体は間違っていないが、過酷なノルマを課すことは人権侵害以外の何ものでもない。
ノルマは強制労働そのもの
総じて営業職は、辛く苦しい。
大して必要のないモノを自己都合で顧客に無理矢理買わせる仕事なんか、ただでさえやりたくないのに、追い打ちを掛けてノルマを課すなんて狂気の沙汰だ。
私は経営者が社員にノルマを課す行為は『強制労働』に該当すると思っている。
労働基準法において、一番厳しい罰則をご存知だろうか。
第五条 使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。
労働基準法
第百十七条 第五条の規定に違反した者は、これを一年以上十年以下の懲役又は二十万円以上三百万円以下の罰金に処する。
だからノルマを課す経営者は全員労働基準法の罰則を受けるべきだ。
「ノルマを課さなきゃ社員が仕事を獲らないじゃないか」
だったら、ノルマを課さなくても販売したくなるような魅力的な製品を作るか、それを取り扱えばいい。
営業自身が愛してやまない製品であれば、言葉に説得力が増すので自然と売れるはずだ。
小手先のロープレや切り返しの話法を学ぶ研修なんて一切不要である。
社員の給料泥棒が怖いのであれば、ノルマを課さない代わりに基本給を下げてその分販売奨励金を増やせばいい。
要は代理店契約のようなものだ。これなら誰も文句を言わない。フェア(公平)だからだ。
生活費を稼ぐために営業職に就くことから卒業しよう
恐らくだが…日本中の営業職の99%は、自社が取り扱う製品を愛していない。
それでは何故ここまで営業職に従事する者が多いのかというと、労働需給のバランスの問題だ。
はっきり言って、誰もノルマのきつい営業職なんかやりたくないのだが他に仕事がないから仕方がなくやっているだけだ。
事実私がそうであり、行政書士になるまで営業職しか仕事に就けなかった。
30代後半になってようやく気が付いたのだが、とりわけ文系出身は社会に出ると「モノを売る仕事」にしか就けない。
科学や物理、工業といった理系出身者は高専や大学院で専門分野を学び、卒業後はそのまま理化学や工学メーカーに就職する場合が多い。
一方、大卒文系の場合は先行分野が実社会において役に立たないものがほとんどの為、結局卒業後は営業職になるしか道がない。
しかし何度も言うが、営業職は辛い。
心底営業が好きでやっている会社員は日本中探しても全体の1%未満ではないだろうか。
しかし精神的に辛く苦しく休みもまともに取れないブラック営業を何故辞めないのかというと、単純に辞めると次の仕事がないからだ。
もしくは仕事はあるが、社会的見栄を気にしたり、転職で手取りが減ることを恐れているから。
この結果、経営者は薄給でも応募は多少はあるし(最近若年者の営業職離れは進んでいる)、また雇用後も、社員は他に仕事もなく辞めないので『薄給テーガク』で労働を強いることができる。
どれだけ働き方改革を叫ぼうがブラック企業が無くならない理由はここにある。
余程、自社製品を愛していて営業職を好き好んでやっている人はさておき、毎日辛く苦しい想いを圧し殺しながら仕事をしているのであれば、さっさと会社を辞められる準備にとりかかるのが『吉』だ。
私自身、自動車ディーラーを退職後、2年ばかり営業ノルマの無い仕事に就いたのだが、はっきり言って『天国』だった。
ノルマの無い日々がこれほど精神的に楽なのかと驚いた。
(結局、毎日がつまらな過ぎて直ぐ退職したのだが)この話に興味がある方は下記のブログを覗いてみて欲しい。
脱・営業職の第一歩を踏み出そう
転職しようにもスタッドレスタイヤに交換するように、簡単に職場を交換できるわけではない。
だから営業職は日々の空いた時間を利用して、水面下で着々と転職の準備を進めるのだ。
幸い営業職には時間がある。
今この記事を真剣に呼んでいる読者もどうせ日中はマックの100円コーヒーで何時間も粘っているか、営業車でシートを倒して寝っ転がってスマホを眺めているかのどちらかだ(大変失礼)。
だからその隙間時間を転職活動の準備期間に充てよう。
ここで注意してほしいのだが、隙間時間を転職活動に充てるのではない、転職するために必要な『土台作り』に精を出すのだ。
ここで指す土台とは『自動収益の仕組み』を指す。
自動収益の仕組みは転職による収入減を補うために絶対に必要だ。
どう言うことかというと、営業ノルマから逃れるために転職を考えたあなたが最初に直面する問題は収入減。
「ノルマがない仕事なら事務職だろ」と思ってindeedやDODAなどで募集要項を見ると、その絶望的な給料の低さに驚くはずだ。
それもそのはず、ノルマが無い=精神的プレッシャーが低い=薄給。
この図式は確定している。
だから転職による手取りが減る問題を『自動収益の仕組み』によって補う必要があるのだ。
例え営業手当がなくなったことにより手取りが減ったとしても、自動収益の仕組みが整っていれば怖いものはない。
ノルマが無く精神的ストレス負荷が低い会社に転職しながら、前職と同等の生活水準を保つことができれば最強だ。
しかし『自動収益の仕組み』を作り上げるのは簡単なことではない。
私は『自動収益の仕組み』がこれからの人生では絶対に必要だ、さてどうする?と考えてから、最初の収益が入るまでに5年もの歳月を費やした。
しかし最後の転職を試みたときは、仕組みがある程度出来上がりつつあったお陰で、手取りが減ることに何も不安に感じてなかった。
実際、転職を不安視する家族にも、手取り減を補えるだけの自動収益があることを実際の明細を見せることで納得してもらえた。
この様に、ノルマから逃れるために直ぐに転職するのではなく、転職するための『土台が完成した後』で転職しなければならない。
「さっきから土台作りとか自動収益から言ってるけど具体的に何をしたらいいんだよ?」と疑問に思ったことだろう。
自動収益の仕組み作りについては下記の記事に詳しく書いているので参考にしてほしい。
まとめ
営業ノルマの「ノルマ」の語源は、かつて日本人が強制労働を虐げられてきたシベリア抑留にあった。
深く悲しい真実は、現在の奴隷『営業職』として姿・形を変えて存在している。
営業職からノルマは切り離せない。
しかしノルマは辛い、きつい、悲しい、痛みを伴う。
だから本来人間はノルマの伴う営業職に従事するべきはないのだ。
なぜなら日本人は人権を有し、生存権が認められているから。
逃げ出したい、その気持は痛いほどよく分かる。
しかし焦ってはいけない。
いま時間のあるうちに、じっくりと水面下で転職できるだけの土台作りに精を出すのだ。
時間を要するだろうが、その努力の末に出来上がった強固な土台は、あなたの血となり肉となり、強力な武器となる。
だから結果が出るまで諦めずに努力を続けてほしい。
※続けることの重要性は下記の記事の後段に詳しく書いてある。