【ブログ】『役職』が表す言葉の価値と機能性は時代の寂しさを象徴している

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私は会社員を20年経験した後に行政書士として独立開業したが、その20年間は平社員だった。「主任」や「リーダー」ですらない。

20代の頃は課長や部長という肩書に憧れた時期もあったが、その願望は年齢を重ねるとともに次第に薄れていった。

その理由は過去の勤務先にある。

役職付きの上司は月額数千円の役職手当をもらう代わりに『テーガク』で月に何十時間も残業・休日出勤させられ、営業ノルマ(営業職だったので)は、平社員と比較して尋常ではない程、大幅に引き上げられる。

さらに目標達成割合に対して支払われる販売奨励金は、目標に1%でも達成できない場合は1円ももらえないという残酷なルールだった。もらえないならまだマシで、未達割合に応じて手当から減額されるということもあった。

この様な割に合わない奨励金制度や、努力の報われない上司達を見ていると「結局のところノルマが低く責任もない平社員が最強」という結論にたどり着いた。

しかし多くの社員は『稼ぎやすさ』や『日々の居心地の良さ』よりも『役職』を何よりも重視していた。

彼等が役職に執着する理由は時代が象徴している。

バブル経済崩壊後の失われた30年、どれだけ働いても給料が上がらないこの時代、自己の存在価値を認識する手法が『役職』という言葉以外に存在しないからだ。

しかしこれだけ大手企業が大量リストラをする時代に『課長』や『部長』という役職の価値は既に機能失っており、もはや自尊心を保つための最終手段として『言葉だけ』が存在しているに過ぎない。

つまり役職が表す言葉の価値は、働く平社員の寂しさを象徴しているとも換言できる。

役職よりも、個人がどれだけの『バリュー(価値)』を提供できるかの方が重要なのだが、彼等は今後もその点に気が付くことはないだろう。

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