太りやすくなった身体
40代を越えたあたりから「痩せにくい身体になったな」と感じる。
夕飯の量を抑えかつ甘いものを我慢したにも関わらず、翌日体重計に乗ると若干太っていたりする。
原因は、加齢に伴う基礎代謝量と筋肉量の低下であろう。
さらに運動不足も要因の一つだ。
会社員時代は少なくとも自宅から車庫、車庫から会社への徒歩移動があったわけだが、行政書士で独立すると自宅と事務所が近くなったのでそれすらもなくなった。
依頼者とのやり取りはほとんどメールかLINEで済むし、車庫証明や丁種封印業務を専門にしていないので毎日走り回ることもない。その結果、全く歩かない日が増えた。
このように、食うだけ食ってカロリーを消費していないのだから太るのも当然だ。
「若い頃は良かった」なんてこの歳で嘆きたくはないが、若い頃は本当に良かった。
大学生の頃は、吉野家の特盛を食べた後に並盛を追加で食べたり、夜明け前にコンビニで牛カルビ弁当とスイーツを山程買い込み完食と同時に眠りに落ちるような日々を繰り返していたが、現在よりも痩せていた。
今は食事の量を抑えながらチョコザップで軽い運動をしているにも関わらず現状維持が精一杯だ。
体重キープは自分との最後の戦い
歳も40を過ぎると同級生はたいがいハゲかデブしかいない。
これはマジである。
街を歩いていて「おい純!」と話しかけられて振り向いたら知らない髭デブのおっさんで、よく顔を見ると中学の同級生だった、という話は2,3回どころではない。
しかし私は絶対にデブにはなりたくない。
体重のキープは私の自尊心を保つうえで最後の砦となるからだ。
世間一般的な評価では、チビより高身長、ハゲよりふさふさ、デブより細マッチョの方が好まれる。
一方私は167センチの低身長。
髪は今のところ後退していないが時間の問題かもしれない。体重は一般的な40代平均男性より若干軽い。
おっさんの低身長ハゲ&デブははっきり言って醜い。
子供部屋おじさんで家に引きこもったまま死を迎えるのなら見た目なんてどうでもいいが、腐っても『行政書士』なので品性を保ちたいという想いはかなり強い。
しかし今さら身長を伸ばすことはできないし、頭皮の後退を食い止めることもできない。
それでも唯一抗えるものがある。そう体重だ。
体重だけは唯一自分の努力でキープすることができる。
だから私にとって体重を維持する努力は、自分との最後の戦いなのだ。
運動が嫌い
体重をキープするためには「食事の量を減らす」か「運動する」またはその両方しか方法はないのだが、私は大の運動嫌いだ。
登山やマラソン、野球やサッカーなど、運動が趣味な人は多いが私は極力体を動かしたくない。
「テコンドーをずっとやってるんじゃないの?」
30代の頃は楽しいからやっていたが、最近は体重維持のために仕方がなくやっている感じだ。
40を超えての格闘技は、はっきり言ってキツい。
チョコザップにもランニングマシーンが置いてあるが、開始10分も走れば息が上がって嫌になる。
有酸素運動は20分を越えたあたりから効果が出始めるそうだが、いくら走っても景色が変わらないから飽き性の私にとってはそんなに長時間同じ場所を走っていられない。
あまりにも運動をしたくないので最近は「そもそも食わなければ運動しなくても済むのでは?」思うようになった。
目の前にある、若鶏の唐揚げをハイボールで流し込むと瞬間的に快楽を得られる。
しかしその後は辛い運動が待っている。
それならばいっそのこと「若鶏の唐揚げとハイボールを我慢すれば運動しなくて済むじゃん」という図式が私の中で成立したのである。(鶏の唐揚げとハイボールを我慢してさらに運動もすればもっと痩せるぞ、という意見は控えてほしい)
デブは若鶏の唐揚げをハイボールで流し込むくせに、運動をしないからデブになるのだ。
長生きしたいならユニクロで満足感を得よう
「太った後に運動するのが面倒だから最初から食わない」という思考は長い人生をイージーに生きるうえで重要だ。
消費行動に視点を変えて考えてみよう。すると以下の図式が成立する。
「長生きしたいからユニクロで満足する」
多くの人は「品質が良いから買うんだよ~」と言いながらも、心の底では他人から少しでも良く見られたいという承認欲求のために積水や一条工務店などの大手ハウスメーカーで新築を建てたり、新車のプリウスやアルファード、ロレックスやオメガの時計、NORTH FACEやmont-bellのダウンジャケットなどを買おうとする。
しかし経営者などの資本家を除き、雇われの会社員が高級品を買うためにはお給料を稼がなければならない。
しかしお給料を1円でも多くもらうためにはフルコミの保険営業職でもない限り、残業するか同じ会社に何十年も勤めて昇進するしか方法はない。
このため皆、家族との貴重な時間を削って残業したり休日返上で働きながら昇進を目指す。
ところが皮肉なことに、残業や昇進して年収が上がっても手取りはさほど変わらない。(この理由については下記の記事中段に詳しく解説している)
なにより残業や昇進してしまうと、毎日定時帰りで責任の軽い平社員より比べ物にならないほどストレス負荷が重くのしかかる。
ストレスは脳梗塞や心疾患などあらゆる病気を誘発する。
だから残業するほど昇進するほど自分の健康体がむしばまれてしまうのだ。
つまり高価なノースフェイスを求める代わりに自らの寿命を犠牲にしていることになる。
ダウンジャケットが欲しい
↓
機能性はユニクロと変わらないのに見栄をはりたいからノースフェイスを買おうとする
↓
しかしノースフェイスは高い、買えない
↓
ノースフェイスを買うために残業したり昇進を目指す
↓
ストレスが溜まる
↓
病気になる
↓
早死にする
↓
それなら最初からユニクロで満足すれば無理して残業したり昇進を目指す必要がない
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無理して残業や昇進もしなければストレスが溜まらない
↓
ストレスが溜まらなければ病気を誘発する可能性が低くなる
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長生きする
※ノースフェイスを「新車」「新築」、ユニクロを「中古車」「中古戸建て」と読み替えても可
これが「長生きしたいからユニクロで満足する」の図式だ。
・「太った後に運動するのが面倒だから最初から食わない」
・「ノースフェイスを目指すと寿命が縮まっちゃうから最初からユニクロで満足する」
この思考法は人生を楽に生きるうえでは非常に重要である。
なお、私は好きで行政書士の仕事をしているのでどれほど仕事量が増えても辛いとは感じない。
むしろ仕事量は収入に直結するので幸福度が上がるばかりだ。
しかし会社員は業務量が増えると、手取りは変わらずストレスだけが増えるので(寿命が縮むので)損でしかない。
この点に気付いていない人が多すぎる。
私と同い年で支店長に上り詰めて高収入を実現した友人がいるが、本部長からの圧力と部下の育成によるストレスで、この間ついに血尿が出たとXでつぶやいていた。
足るを知れば人生はもっと楽になる
人生をイージーに生きるためには『知足』の精神を忘れてはならない。
「すでに必要十分満たされているからこれ以上は要らないよね」という思考だ。
人よりもっと良い家が、良い車が、良い時計がほしい、今よりももっと美味しいものを食べたい。
このように人間の欲求にはキリがないから、この際全て捨ててしまおう。その方が楽に生きられる。
禅の教えに「放下着(ほうげじゃく)」という言葉がある。
これは「すべての執着を捨て去れ、執着を空っぽにしてみろ」という意味。
それくらい人間の欲望には際限がないということだ。
結局、見栄をはらない人、物欲がない人が最も幸せなのだ。